彼らは夜に名前を付けた。

アイドルとは、日常を特別な一日に変える優しさと強さを持つ人々のことである。

私は、SMAPが、どうしても好きなんだ。

 5回目の更新がSMAP解散報道を受けての記事になってしまうなんて、考えたくもなかった。

 今日は8月14日。SMAPが解散すると、ジャニーズ事務所から公式に書面で通知されてから、わずか数時間後のことである。

 故に、これから述べる文が恐ろしく冷静さを欠いていること、そして感情的になっていることをまず前提としてお伝えする。

 私は、SMAPが、どうしても好きなんだ。

 

 

 そもそも私がSMAPを好きになったのはここ数年の話で、遡るならわずか五年前、大学受験を控えた年のことだった。

 それまで私はSMAPは名前をかろうじて知るばかりのアイドルグループで、正直なところを言うと、彼らの詳しい活動なんて、よく理解していなかった。

 それでも私は、SMAPの名前は知っていた。

 

 もとより、今では信じられないほどメディアにまったく興味のなかった私は当然今はやりのアイドルトークで盛り上がる学友とは話が合わず、さすがに浮くことはないが、なんとなく話についていけない、そんな疎外感を覚えていた。今は大好きなKinKi Kidsだって当時はその名前すら知らなかったし、女の子たちの心をときめかせていた亀梨和也さんと赤西仁さんは、見分けすらつかなかった。修二と彰と何が違うんだ、そういうレベルだった。

 それでも私は、SMAPの話題だけはついていけた。それは学友だけではなく、どの世代の人間に対しても、言えることだった。

 SMAPは実に、多くの人の共通のアイドルとして、それこそ国民的に愛されるアイドルとして認知されていた。私の母親の世代はもちろん、私と同年代の友人やその下の子供まで、誰もがSMAPが話題に上がれば、会話を成り立たせることが可能であるぐらいには、SMAPは日本国民の共通認識の存在として、確立されていた。これは少なくとも私にとって、とても重要な意味を持つ。

 人間、やはり、誰かと共感したい、同じ喜びを体感したい、同じ悲しみを分け合いたい、そういう気持ちを持っていると思う。その共感を担ってきたのがSMAPという存在だと、私は考えている。

 

 「世界に一つだけの花」誰もが口ずさめるだろう。2002年に発表されたこの楽曲は草なぎ剛さんが主演の「僕の生きる道」の主題歌として用いられ、視聴した人々に多くの感動をもたらした。もともとアルバム曲の一つであったこの歌はのちにシングルカットされ、今やトリプルミリオンも視野に入った平成の大ヒット曲の一つとなっている。

 この歌が発表されたとき、私は小学生だった。学校の先生はこの歌の楽譜をわざわざ用意し、よくリコーダーや合唱の課題曲にした。誰もが歌えた。誰もが歌詞を言うことができた。当時はやりの歌をよく知らない子供たちですらも、「世界に一つだけの花」はそらで歌うことができた。

 少し時がたてば、この歌の意義について議論されるようになった。「はたして本当にNo.1よりもオンリーワンの方がいいのか」「競争を忘れてしまっては成長は見込めないんじゃないのか」大人たちがこぞって、ただ一曲のJ-POPの歌詞について考えていた。当時流行った歌なんていくらでもある。しかしその中でも、この「世界に一つだけの花」はその場限りの勢いではなく、長い時をかけて人々の心に何かしらの課題や感動を残し続けていた。

 この、老若男女、立場の違いを越えて、異なる人々が同じ話題で盛り上がるのは、なかなかないと思う。アイドルと言った娯楽文化においては、特に。誰しも、どうしても熱心なファンだけで集まりがちなこのアイドルという世界でも、SMAPはファンであるかどうかを問わず、多くの日本人に共通の話題を与えてきた。

 

 彼らの活躍は、何も「世界に一つだけの花」に留まらない。2000年前半にはすでに個々人がドラマやバラエティで活躍しており、当時芸能人にそこまで興味のなかった私ですらも、その名前が届くぐらいには、彼らの活躍は目覚ましいものであった。だから何かと芸能の話題で遅れがちな私にとって、SMAPは、大げさに言ってしまえば、外界と私を繋ぐ数少ないツールだったのだ。そして私は、それが、とても、ありがたかった。

 だって、私は、誰かと共感したかった。

 「SMAPで誰が好き?」と質問される。いつもは答えられない私だけど、名前はわかるから「慎吾ちゃん」と答えられる。「えー私中居くんの方が好きだな」と返される。この前のめちゃイケでね、中居くんがね、そう会話が始まる。そこに普段は会話に混ざってこない先生が入ってくる。「木村くんのドラマすっごくかっこいいんだよ」そんなことを言う。私はそのドラマを見ていないけれど、先生もSMAPが好きなんだと、ちょっと親近感を覚えて嬉しくなる。普段会話しない世代も離れたその先生が、私たちと同じ人たちを好きなんだと知って、嬉しくなる。

 家に帰ると、母親が草なぎ剛さんのドラマを見て泣いている。「僕と彼女と彼女の生きる道」が好きで、親子そろってよく、そこに出ていた「りんちゃん」の明るい返事の物まねをしていた。なんか、理由もなく、楽しかった。忙しい母と共通の話題を持てるのが、楽しかった。そういえば、比較的メディア露出の少なかった(それでも映画とかによく出ていた)稲垣吾郎さんだって、「天然パーマを気にしている」「そしてナルシスト」というキャラを知っていた。テレビを見るたびに両親が「これだからごろーちゃんは」と話題にしていたからなのかもしれない。その彼がきれいな顔をしていて私生活まで貴公子極めていることを知るのはこれまた数年後の話なんだけれど、稲垣吾郎さんの話題で両親が盛り上がっているのは、見ていて安堵した。

 SMAPは、私たちに共通の話題を提供してくれた。それがいい話題でも、悪い話題でも、いつだって会話を生ませてくれた。共通の思い出も、作ってくれた。

 

 私が初めてSMAPのライブで参戦したのは、2003年の「SMAP '03 "MIJ Tour"」であった。そのライブは珍しく、私の地元でも行うと聞いて、母が知人に頼んでチケットをわざわざ取ってもらったのだ。

 SMAPのライブはいつだって大きくて、華やかだ。

 演出が派手だとかシンプルだとか、それは年によって少し異なるが、大きな会場にたくさんの人を詰め込んで体力・時間・資金を惜しげもなくつぎ込んで行われるそのライブは、いつだってSMAPの全力の恩返しにも思えた。普段応援してくれている人、そうではない人関係なく、この会場に足を運んできてくれた間近のアリーナ席から遠くの天上席まで約数万人のお客さんに向けた、感謝のようにも思えた。

 何回かSMAPのライブに足を運び、ようやくステージ以外を見渡せる余裕が生まれてきたころ、私はふと客席を眺めた。

 いろんな人がいた。男、女、子供から老人まで、さまざまな人が会場にいた。東京ドーム、約5万対の瞳。そのどれもがステージ上のSMAPに向けられていて、そしてその顔は笑みを浮かべていた。

 たった5人の男が、この会場内にいる5万人の人々を幸福にしていた。

 それがどんなに特別なことか、私には到底推し量ることができない。だってこの会場にいる5万の人間はそれぞれ違った道を歩んできて、それぞれ違った嗜好を持っている。その誰もを一気に幸せにすることなんて、並の人間にできることではない。でもSMAPはやってのけた。それは彼らがこれまでの間、本気でこのアイドルの道を歩み、開拓し、時には己の身を削りながらその輝きを磨いていったからこそ、成し遂げる偉業なのだと思う。私が言葉にすれば数行に収まってしまい、その彼らの一つ一つの重みとか、伝わらないのが非常に心苦しいが、それでも、彼らが多くの人々を、たったの数時間で幸福にしてしまう凄まじい人間だということだけは、知っておいてほしい。

 終演後、ドームを後にする人々の顔は若干の名残惜しさを覚えつつも、頬は満足感に上気していた。そして私は、彼らと共に、「あの日、あの時、あの場所で、SMAPに会った」ということを思い出として胸に刻んだ。きっとそれは、この先も忘れることはないだろうし、むしろ愛する思い出として、そのきらめきを増していくのだろう。

 ――もうすぐSMAPに会えるよ。

 私は、この言葉を再び聞けることを、未だに待ち望んでしまう。それは私が記憶する限り、最も愛しくて、そして楽しい予感を覚えさせてくれるカウントダウンなのだから。

 

 そしてSMAPはいつだって、時代に、私たちに、よりそってくれた。

 

 彼らのデビューした1991年、バブルが崩壊した。好景気を信じていた矢先、資産価格の暴落が起こり、経済問題が次々と起きた。経済に詳しくないので、これ以上は言及できないけれど、人々に多くの喪失感を与えたのではないかと思う。SMAPがデビューしたのは、そんな年のことだった。

 デビュー曲の「Can't Stop!! -LOVING-」はまさかのオリコン2位だった。ちょうどこの時、アイドル氷河期であり、ザ・ベストテンなどの音楽番組が終了し、アイドルらしく楽曲を披露する場を奪われていた。その逆風もあり、SMAPのアイドル活動は決して順調なものではなかったと思う。

 その中で、SMAPはもがいでいた。バラエティに進出するようになり、今では当たり前のように思われる体を張った芸も積極的に行うようになっていった。中居正広さんは当時からノートを細かくとり、「何を聞かれたらどう答える」という受け応えまで想定し、バラエティでの生き方を学んでいった。その努力が、1997年の紅白歌合戦、当時25歳であった中居正広さんが白組司会を任せられるまでに実を結んだ。それは他のメンバーにも言えることであり、ある者はドラマに、ある者はバラエティに、確実にそれぞれの魅力を伸ばして唯一無二のアイドル像を確立させていった。

 だからといって楽曲面をおろそかにしていたかというと、そういうわけではない。海外の一流ミュージシャンを招き、「アルバムの方がいろいろ冒険できる」とアルバムを中心にその音楽づくりに努めた。じゃあその中で彼らが何をうたったかというと「がんばりましょう」や「たぶんオーライ」、「俺たちに明日はある」といった社会人に向けた応援歌だった。

 前述の、バブル崩壊、それは経済問題を引き起こし、労働者である社会人にも多大な影響を与えたであろう。SMAPはそんな人たちに寄り添うように、応援歌を歌ってきた。それは決してうまくないかもしれないが、波乱万丈な芸能界を溺れそうになりながらも泳ぎ続けてきた彼らの歌声は、優しくも心強いものであった。

 私は、そんなSMAPが好きだ。

 余談だが、私のぐっとくるエピソードで、中居正広さんと木村拓哉さんの、成人式の話がある。その日二人は「音松くん」のロケをしていた。道行く同い年の若者の晴れ着姿を見て、そして自分たちのカラフルな、冗談みたいな恰好を見て「俺ら、何をやっているんだろう」と思ったという。彼らは、おそらく、何度もこういう普通の青春を犠牲にして、自身の仕事に勤めていた。そんな彼らが、今度は働く社会人のために、応援歌を歌っていた。その事実が、なぜか私の心を締め付ける。

 誰かが言っていた、彼らは自分たちの青春を犠牲にして私たちの青春を支えているのだと。

 

 そんな働く人々に寄り添ってくれたSMAPは1998年の冬、「夜空ノムコウ」を発表した。穏やかなギターの前奏から始まるその歌は、過去への郷愁を馳せながら、まだ見えぬ明日という未来を見つめている。それは「よし、これからもがんばって生きていこう」という力強いものというより、「それでも明日は来るから」と一種の諦観に似たようなものを覚える。

 私は、人の支え方って、何も前向きな言葉を投げかけるだけではないと思う。その人の弱音とか、そういうものを何も言わずに、ただただ静かに受け止めるのも、支え方の一つだと思う。「夜空ノムコウ」は、そういう曲だと思う。

 誰だって、過去に思いを馳せて、切なくなる気持ちがあると思う。もう二度と戻らないあの時を想って、今に少し弱気になることがあると思う。「夜空ノムコウ」はその気持ちをそのまま歌い上げている。否定はしない。答えを提示するわけでもない。ただ、誰もが抱くであろうその弱音を、代弁している。それは作詞者であるスガシカオさんの言葉で、そしてSMAPの歌声で。みんながみんな、言葉をうまく紡げるわけではない今日、その切なさとか、儚さとか、どうしようもなさとか、形容しがたいぼんやりした寂しさとか、それを言葉で提示して、歌を通して伝えてくれるのは、きっと今にほんの少し弱っている人たちにとって、優しい救いになると思う。少なくとも、私はそうだ。

 ――あのころの未来に僕らは立っているのかなぁ…

 そんな言葉の重みがようやく分かってきたこの頃、改めてこの歌の優しさに気づいた。でも、正直言うと、私は、こんな未来には、立ちたくなかった。全てが思うほどうまくはいかないみたいだなんて、こんな形で実感したくなかった。こんな、形で。

 

 個人的な話を語らせてほしい。

 2011年3月、私の暮らす街が、今までに感じたことがないほど、揺れ動いた。窓が割れた、電気が消えた、友達の家が流された、私の、私の知る景色の様相が、一瞬にして変わってしまった。

 電気もつかない真っ暗な夜の中で、私はSMAPの歌を聞いていた。

 その時はまだどれだけ被害が大きいかなんてわからなくて、それこそ2万人の人がこの町から消えてしまったなんて知らなくて、だから水も出ない、ガスだってつかない、友人は無事だろうか、こんな日が続いたら食料もいつか底を尽きそうだなぁ、そんな風に見えない明日に漠然とした不安を覚えながらSMAPの歌を聞いていた。

 別に勇気づけられたいとか、元気になりたいとか、そういうのではなく、ただ単純に、不安を紛らわせたい、それだけの気持ちだった。震災前によく聞いていた音楽を、その日も変わることなく聞き続けることで、なんとなくいつかは元通りになるんじゃないか、そんな気になりたかった。「やっぱ中居くん音ずれてんじゃないの」とか「慎吾ちゃんの声はまっすぐで好きだなぁ」とかそんないつも通りのことを考えるように努めていたら、なんとなく気が晴れた。正直、別にSMAPじゃなくてもいいんだけれど、別のアーティストでもいいけれど、たまたまSMAPが好きだった私は、あの日は確かに、SMAPに支えられていた。

 後日、SMAP×SMAPで、私たちに義援金の呼びかけのために、頭を下げるSMAPを見た。衣装だって変わっていたから、撮り溜めしているわけではなく、その都度その都度撮り直していたんだと思う。きっと忙しい人たちだからいつかは終わると思っていた。でも終わらなかった。今日の今日まで、SMAP義援金の呼びかけをやめることは、なかった。

 

 それが、私の今まで見てきた、SMAPの姿だった。

 

 2012年の「SMAPがんばりますっ!!」で交換日記企画があった。五人それぞれがメンバーに順番にメッセージをまわしていき、最後に中居さんが「ファンのみんなへ」とメッセージを読み上げた。

 ――やんちゃな5人です。いまだ、歌えない人。いまだ、踊れない人。負けず嫌いな人。コントで女装ばかりする人。いまだ、喋らない人。こんな5人を受け入れてくれて、ありがとう。

 ――皆さん、たまの浮気は許します。若いコっていいですもんね。でも、帰ってきてください。気にしていてください。そばにいてください。

  ――SMAPは今年、24歳の年男です。親孝行ならぬ、ファン孝行ができる年齢になりました。楽しい時間をゆっくり過ごしましょう。今まで本当にありがとう。そして、これからもくれぐれも、ありがとう。SMAP一同。

 

 翌年のSMAP×SMAPの5人旅では、森且行さんが脱退した、そして稲垣吾郎さんが復帰した際に歌われた「ベスト・フレンド」が流れたとき、中居正広さんが珍しく涙を見せた。普段あまり、人前で泣く方ではない彼は、メンバーに茶化されながらも、このような言葉を語った。

 ――俺100人だったら相手できる。

 ――10人突っかかってきても絶対SMAP守れるよ、今。

 ――守れるよ、俺。全然イケる。

 

 また、27時間テレビのときは、五人それぞれがSMAPを「2つ目の苗字」、「今ある自分の基礎、帰れる場所」、「自分の中を流れる血液」、「生きていることを強く実感させてくれるもの」、「僕の生きる意味」と形容した。解散ドラマにおいては、決して解散しないことを、私たちファンに伝えてくれた。今から2年前の、2014年のことである。

 

 昨年の年末には、SMAP SHOP10周年に、中居正広さんと木村拓哉さんがそろって来店した。ただの偶然なのかもしれないが、それでもこれまで「会えなかったファンが寂しがっちゃうでしょ」とあえて来店しなかった中居正広さんが来店したことは、ファンに大きな驚きをもたらした。

 年始のCDTVでは、「STAY」を披露した。その歌には、このような歌詞がある。

 ――僕らずっと共に歩こう 永遠なんて言わないからさ 5, 60年それだけでいい

 

 私は、これらの言葉を信じてきた。多分、この先も信じると思う。

 だって私の目の前で、自身の口で語られてきたSMAPの言葉は、いつだって暖かくて、まっすぐだったから。

 

 悲しいことに、SMAPのような魅力を持ったグループは、今後現れない。絶対に。断言できる。別に、他のアイドルが魅力的ではないというわけではない。誰だって魅力的だ。私だって、他に大すきなアイドルグループはたくさんいる。ただ、SMAPの色を持って、SMAPの輝きを放っているアイドルは、SMAP以外存在しないのだ。それは代替不可能な存在で、急に取り上げられて「はい、さようなら」と手放せるものではないのだ。

 でも、現実は、解散で。

 

 なんでだろう。どうしてだろう。1月、報道が出た時は「またか」と思った。27時間テレビの時確か香取慎吾さんがスマステで「解散なんてしませーん」と言っていたから大丈夫だと思っていた。でも事態は思ったよりも深刻だった。

 それから翌週、SMAPが自身の冠番組で生放送を行った。女性アナウンサーの手が震えていた。なぜか大切な舞台ではいつも中心だった中居正広さんが端っこだった。挨拶の順番も、なんか違和感を覚えた。そして誰一人、SMAPとして頑張っていく、なんて、言っていなかった。私は怖くて、その生放送を見返していなくて、間違った記憶もあるかもしれないけれど、でも、彼らから、「これからも、SMAPとして」というワードが出てこなかったことに、不安を拭えなかったのを、覚えている。

 ――今回の件でSMAPがどれだけ皆さんに支えていただいているのかということを、改めて強く感じました。

 なんか、ちょっと、おかしいなと思った。だってSMAPは、元から私たちに支えてもらっていること、知っているはずなのに。少なくとも私が信じてきたSMAPは、そんなSMAPだった。

 8月中旬、オリンピックで盛り上がっていて、リオ危ないらしいけれど、気を付けてね、とちょっと心配になりながらもアスリートやキャスターを応援していたお盆。「明日、SMAP解散って発表されるよ」とニュースが出た。はいはい、嘘嘘。そう思いながらも、ドキドキしていた。1月のことがあったから、なんかどうしてもどこかで信じてしまう自分がいた。

 でもSMAPはファンを大切にする人だから、そんな重大な発表があったらまずファンの人に知らせが行くと思う。つい最近、ファンクラブの会報の内容が、ファンに届く前にネットニュースに流れてしまったことを思い出して不安になりながらも、嘘だ、だってタイミングがおかしいもの、と言い聞かせるようにしていた。

 その答え合わせは、私を激しく動揺させる結果になった。

 

 今、どうしても、言葉を吐き出さずにはいられず、こうして結局、一睡もできずに朝までこの文章を書いてしまった。ようやく、気分が落ち着いてきたと思う。その一方で、私はこれから失うものがどんなに大切なものなのかを、改めて実感してしまった。

 

 SMAPは、いわば今所属する、少なくともSMAPの後輩にあたるジャニーズアイドルにとってのルーツに近いと思う。

 四十過ぎてもアイドルとして活躍して、バラエティにも貪欲に出演して、今までいろんな壁を壊してきて、そこで新たな道を切り拓いたからこそ、その道を起点にいろんなアイドルが活動し、そしてまた新たな道を切り拓くことができているのだと思う。

 そんな、「四十過ぎてもアイドル」という伝説を確立させたSMAPが解散するなんて、解散という選択肢があるなんて、他のアイドルにも影響を与えてしまうことなんて目に見えている。

 誰だって、一度は解散を考えていた。SMAPだけじゃない、一見順風満帆にいっていそうなアイドルだって「危ない」と感じる時期があった。でも誰も解散という道を選ばなかった。それは多分、ここ十数年間、解散という選択肢を選ぶアイドルがいなかったのが大きいと思う。私は内部の人間じゃないから本当のところはわからないけれど、無意識であれ意識的であれ、「解散は選ばない」という暗黙の了解に近いものがあったんじゃないかと思う。でも今回、ついに解散するグループが出てきてしまった。それもSMAPだ。この年になるまでアイドルの最前線として歩み続けたSMAPというグループ。「解散は選ばない」という足場は一気に脆くなって、これからグループの選択肢として「解散」の二文字が今まで以上に色濃く現れてしまうんじゃないか、そんな危機を感じる。

 

 もし、SMAPが本当に、SMAPという形に限界を覚えて五人ソロという道を選んだのなら、そちらの道の方が自分たちにとって未来があるというのなら、それを本人たちの口から、体温のある形で伝えてほしい。そこでようやく私は諦めがつくと思う。

 でももし、もし仮に、解散が本人らの意思でないのなら、私が今まで信じてきた、「SMAPを愛するSMAP」のままでいてくれていたのなら、その気持ちを、早く教えてほしい。この数か月間、彼らはビックリするほど寡黙で、何も見えてこなかったから。どれが正しいのか、わからなかったから。

 

 乱文になってしまって、申し訳ない。発表を聞いたときには涙なんて出てこなかったのに、こうしていろいろ、彼らに関する想いを語っていると、どうしようもなく泣けてきて、うまく頭が働かない。

 でも、これだけは伝えたい。

 

 ありがとう、SMAPSMAPの五人、そして六人。本当に、ありがとうございました。

 ライブ、ものすごく楽しかったです。

 コント、大変面白かったです。

 どの場面においても、やっぱ五人揃うと最強なんだなと実感しました。

 香取慎吾さん、SMAPの末っ子として五人のお兄ちゃんから愛されていて、その姿が誰よりもでっかいくせに可愛かったです。小学生のころからSMAPで、やんちゃなお兄さんたちだということ聞かないからとなぜか最年少なのにスケジュール通達係になっていたのはSMAPらしいなと笑いました。ライブでは、その芸術的なセンスを生かして、いつも楽しい夢のビックリ箱を作り上げてくれました。大好きです。食べすぎには気を付けてください。

 草なぎ剛さん、40過ぎたのに未だに永遠の5歳児と比喩されるあなたの天然ぶりは奇跡的だと思います。SMAPの飛び道具的存在で、メンバーですら行動がその読めないの、もはや天才だと思う。韓国語といい、ギターといい、一度のめり込んだら極めてしまうその愛する強さに憧れます。運動神経もよくって、バク転決めちゃうところとか、ドラマで精悍な表情を見せるとか、ふとした瞬間のかっこよさが本当にずるい。大好きです。ギター忘れないように気を付けてください。

 稲垣吾郎さん、SMAPの中間管理職としてオーラの時点で怖そうな上二人と、なんやかんやふわふわしている下二人を繋いでいてくれてありがとう。綺麗な顔をしているのに、私生活だって貴公子みたいなのに、体を張った芸をしてギャップを見せるあたり、不思議な人だなぁと感じます。誰に対しても、どんな人であっても、分け隔てなく愛情かけるところが、やはりあなたの一番美しいところだと思います。大好きです。どうか湿気に負けないでください。

 木村拓哉さん、多分世間のイメージと実際の姿のギャップが一番大きかった人なんじゃないのかなと思います。誰よりも負けず嫌いで、まっすぐ正直に生きたくて。なんでもそつなくこなす器用な人に見えて、実は不器用な生き方に少し心配するときもあった。でもあなたはいつだって期待のそれ以上を目指す、強い人だった。SMAPのエースとして、今まで頭張ってくれていてありがとう。みんなの憧れでした。大好きです。まだまだ夏は続きますが、日焼けは気にかけてください。

 中居正広さん、あなたのSMAPを愛する姿勢が、SMAPを守り続ける姿勢が、何よりも深く、何よりも誇らしかった。あなたがSMAPのリーダーで本当に良かったと、きっと私は、最後の瞬間まで、思い続けると思う。カメラの前では笑っているのに、裏では研究に研究を重ねて、自分や自分のグループだけでなく、後輩グループや共演者たちのこれからまで気にかけて。愛情深くも、それを素直に見せないあまのじゃくなあなたが、大好きです。本当に、大好きです。どうかお体には気をつけて、体が一番の資本ですから。

 こんなバラバラな五人なのに、揃った時の逞しさとか、かっこよさとか、美しさとか、優しさとか、力強さとか、可愛さとか、全部が全部、最高で最高の男たちにふさわしい姿だった。多分、もうこんな五人、二度と現れない。大好きでした。申し訳なくなるぐらい、大好きでした、いや、大好きです、現在進行形で、大好きです。

 これから歩む五人の未来が、せめて明るいものでありますように。

 そしてどうか、本当は、できることなら解散しない、もしくは再結成の夢を、見続けることを許してください。

 

 以上、2016年8月14日現在、私の想いの、言葉にできる限りのすべてです。