彼らは夜に名前を付けた。

アイドルとは、日常を特別な一日に変える優しさと強さを持つ人々のことである。

POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUTに関する記事と私の解釈について

 お久しぶりです。約2年と8か月ぶりの更新になります。COMAです。余談ですが、数年前にアカウントを作り直しました(@comarisu1988)。

 こうしてブログを更新しようと思ったのも、KAT-TUN上田竜也さんが出演される「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」が非常に素晴らしく、美しく、勇ましく、そして難解なものであったため、こうして自身の考えの整理の意味も込めて、私の解釈を記録する次第です。

 この記事ではまず、2015年10月に公開された「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」に関する英文レビューを和訳して紹介し、そのあとに私個人の解釈を述べます。

 

 

 すでにご覧になられた方はご存知の通り、「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」は抽象性が高い演出となっており、その解釈は非常に難解なものとなっております。本記事で紹介するレビューは「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」の背景、そして表現について描写したレビューであると考えます。(個人的には高い説得力があると感じます)

 原文はこちら。

 以下に和訳を示します。素人訳なので正確性を求める方は原文をお読みください。

 

 Political Motherは振付師であり作曲家であるホフェッシュ・シェクターにより2010年に作られた政治的教化1)全体主義2)に関する大規模な作品です。シェクター氏は2002年にイギリスに越す前、イスラエルで育ち、そしてその経験は彼の近年の数作品に影響を与えています。Political Motherはその規模と怒りにおいて、彼がその視点を自身の過去から現在に移すうえでの最後の彼の悪魔を祓う(≒精算する)作品と読み取れるでしょう。また、この作品はダンサーたちが舞台に縛られていることを暗示する旧来の形式ばった振り付けをコンテンポラリーダンスから取り除くという彼の究極の表現でもあります。Political Motherにおいてシェクター氏が我々に与えたことは、ダンスとはロックコンサートであり、骨を揺らす肉体的な挑戦ということです。

 オープニングが定義するイメージは切腹をする侍の姿です。シェクター氏は、この、侍の震えながら失血する姿は国家主義3)軍国主義4)、そして栄光といった概念の終焉であると述べます。この公演では最高のパーカッションや駆動的なパワーコード5)の雷鳴が響き渡り、舞台上のギタリストやドラマーにライトが当てられます(なお、この公演にはオーケストラの弦楽器隊を含む総勢26名の演奏者が出演しています)。そして高座に立つ扇動家は理解のできない喚きと叫び声をあげます。彼は時に愚かな総統でもあり、単に毛繕いをする者でもあり、高慢なロックの神様でもあります。

 シェクターズカンパニーの16人のダンサーはこの激しい演出の中でも、そしてこの広い会場の中でも矮小化されることはありません。よく知られた振り付けはここにあります。磁石のように張り付いた体、民族的な踊り、同調し揺れる腕、交差する集団。ダンサーたちは活気づき力強く、そして彼らの人生を精密かつ詳細に物語っています。ある時は、彼らは己を失わせる音楽のもたらす切迫感に駆り立てられているように見えます。またある時は、彼らは看守を喜ばせるためにこき使われるボロボロで不幸な捕虜のようにも見えます。そして音楽も同様に多面的です。表面的にはRammsteinやVon Thronstahlのようなマーシャルインダストリアル6)界のバンドを彷彿とさせるものの、クレズマー7)の物憂げな複数の旋律はより複雑な物語を表現しています。

 Political Motherは長く、そして少し過酷です。多くの誤った結末を描いています。しかし、シェクター氏のブリクストン・アカデミー8)を満員にした功績、そして若い聴衆を元気づけるようなアドレナリンが放出される力強いショーを提供したことは、過小評価できません。彼の最近の創作活動は、苦悩を伴わないというわけではなく、新しい方向を求めて創造的な精神を探求するという印象を与えました。彼は多大な資金、ダンサー、そしてブライトン9)での社宅を得ました。これは彼に対する大きな期待によるものです。この復活の成功から、シェクター氏は人々の心を奪ったと言えるでしょう。それは素晴らしい夜であり、この新しいダンスは会場内にいる人々だけでなく、万人に与えられたものであることを示しています。

 

1) 教化:人を教え導き、また、道徳的、思想的な影響を与えて望ましい方向に進ませること。(goo辞書)

2) 全体主義:1 個に対して全体を優先させる主義。2 個人の権利や利益、社会集団の自律性や自由な活動を認めず、すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義。独裁や専制政治などと同義に用いられる。(goo辞書)

3) 国家主義:国家を最高の価値あるもの、人間社会の最高の組織と見なし、個人よりも国家に絶対の優位を認める考え方。(コトバンク)

4) 軍国主義:戦争を外交の主たる手段と考え,軍事力を最優先する考え方。(コトバンク)

5) パワーコード:ロック等で使われる、完全五度の音の組み合わせからなるコード(和音)。

6) マーシャルインダストリアル:戦場の音や偉人の演説などを使用した音楽

7) クレズマー:ユダヤ系の伝統音楽。

8) イギリス・ロンドン南部のブリクストンにあるコンサート会場

9) イギリスのイングランド南東部に位置する都市

 

 この記事から、「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」というのはそのタイトルの通り、政治に対するシェクター氏の主張を描いたものであるということが推測されます。

 

 さて、本公演では理解可能な言語が使われているわけではなく、「ポリティカル語」という架空の言語が使用されています(フォロワーさんからの情報提供)。架空の言語を使うことにより、台詞による状況描写がなくなり、物語はその抽象性を増します。また、ポリティカル語はは扇動家などの役割を演じている上田さんやダンサーの男性が叫んだり怒鳴ったりする場面で使われているため、「理解不能なことを叫んでいる人」を表現しているとも考えられます。

 そんな架空の言語が使われている舞台において、私たちがしっかり意味を理解することができる既存言語(この舞台では英語)による表現は重要な役割を持っていると考えます。本記事では

・「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」というタイトル

・「WHERE THERE IS PRESSURE THERE IS FOLKDANCE」という劇中で示されるメッセージ

の二つについて触れたいと思います。

 

1. 「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」とはどのような意味か?

 まず、このタイトルを「POLITICAL MOTHER」 「THE CHOREOGRAPHER'S CUT」の二つに分割しましょう。そしてそれぞれの直訳は「政治的な母」「振付師によるカット」となります。

 

 「MOTHER」「母」と訳せますが、ここでは具体的な母親像ではなく(恐らくそれにあたる女性も描かれていなかった)、より抽象的な「何かを生み出す存在」として考えるほうが良い気がします(しかしそうなるとMotherではなくThe Motherになりそうな…良い案求めます)。そして「POLITICAL」に関しては「political reason(政治的理由)」や「political campaign(政治運動)」にあるとおり、経験的に後に来る語が「政治的な作用を受けた存在である」ということを形容していると考えます。つまり時系列的には、政治が先にあり、後にそれの作用を受けた”何かを生み出す存在”があるということです。しかし"何かを生み出す存在"がタイトルに示されているからには、"その何かによって生まれた存在"がさらに後の時系列で存在していると考えます。

 正直自信はないのですが、私はこの”生み出す存在”を登場人物たちの周辺環境、そして”生み出された存在”を登場人物たちの行為であると考えます。つまり、「国家は個人に先立つ」といった政治的価値観や「君主が最も偉大である」といった政治的思想が、登場人物たちの「愛する者との別離」や「理解不能の怒号」、「君主への崇拝」を生み出していたのだと考えます。つまり、この作品では政治的な背景により理不尽に振り回される人間たちを、しかし力強く描いた作品であると考えます。

 

 「THE CHOREOGRAPHER'S CUT」はもっと単純な解釈になると思います。まず、冠詞である「THE」が続くことから、このあとに続く「CHOREOGRAPHER」はすでに私たちが知識を共有している存在であることが示唆されます。つまり、この舞台の演出家であるホフェッシュ・シェクター氏を指しているのではないかと考えます。次の「'S」は所有のSですからCUTがシェクター氏によるものであることを記述しています。「CUT」は解釈に悩んだのですがCUTのコアの意味が「切る」、かつ単数計なので、曲解して「ホフェッシュ・シェクター氏により編集された作品」という意味になるのではないかと考えます。

 つまりは「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」は作品そのものを端的に説明したタイトルであると考えます。

 

2. 「WHERE THERE IS PRESSURE THERE IS FOLKDANCE」とはどのような意味か?

 これを文法的に正確に書こうとすると「PRESSURE」と「THERE」の間にコンマが入ると思います。そして格言的に書かれたこのメッセージは「WHERE THERE IS A WILL, THERE IS A WAY(意志あるところに道はある)」ということわざを意識して書かれたメッセージであると考えます。

 この文を訳すと、「圧力あるところに、フォークダンスあり」となります。圧力はこれまでの文脈を考えるに、「政治的な圧力」と考えるほうが自然でしょう。そしてフォークダンスの意味は「民族的な土着の踊り」です。

bachtrack.com

 自分で考えてもマルチバースのごとく解釈が浮かんでしまうのでこの方の記事を参考にします。

 

To contrast the hypnotic power of music and words, the dancers can only oppose through movement and their own cultural identity – because, as Shechter puts it, “where there is pressure, there is folkdance”, and every dance is political.

音楽や言語の催眠的な力と対比するように、ダンサーたちは彼らの文化的アイデンティティと動きを通してしか対抗することはできない。なぜならば、シェクター氏の示した様に"圧力あるところに、フォークダンスあり"、つまりはこれらのダンスは皆政治的であるということだ。

 

 ダンサーたちは自身の肉体と躍動をもってして"表現"を行っています。それ故に、この舞台においての彼らのダンスは物語に対する主張であり、舞台上で描かれた政治に対する訴えであるのでしょう。政治的圧力が存在する場では、それに対抗するような意志が生まれる、ということなのかもしれません。

 

終わりに

 ここまでつらつら長々と書いてきましたが、この舞台は個人の解釈に委ねられた舞台であると感じます。個人的には最後の歌についても触れたかったけれど、生憎パンフレットが手元にないのでまた機会があっれば追記にでも。

 「POLITICAL MOTHER THE CHOREOGRAPHER'S CUT」は本当に素晴らしい75分間を提供してくれた舞台です。美しさから勇ましさまで素晴らしいダイナミクスで演奏するミュージシャン、筋骨を巧み動かし様々な質感を表現するダンサー、完成された世界にさらに鋭いスパイスを与えた上田竜也さん、そしてその目まぐるしく複雑な舞台を作り上げたホフェッシュ・シェクター氏に、誠に勝手ながら感謝と尊敬を示したいと思います。